ミカドヤな日常

アートディレクター/グラフィックデザイナーの夫とイラストレーターの妻の日常です。ミカドヤのHPはコチラ:design.mikadoya.jp

七草粥で、元気モリモリ。

今年の七草粥。我が家は出汁を効かせた雑炊タイプ。

「このお粥さん、たっくさん食べたらね、元気モリモリになるんだってよ!」

 

「ホント?!」と目を丸くし、それだったら・・・と茶碗を持ち上げて一気に掻き込む4歳児。

そうそう、その意気で、今年も元気で過ごそうではないか。

愛犬含めて、家族4人分。

無病息災を祈って、ご馳走様でした。

 

天高く、どんど焼き。

天高く組まれた、竹。

私の故郷では『ほうけんぎょう』で親しまれていました。

我が家もしめ縄を持参して参加。

火の気のある所に、消防車あり。

間近で見られるこのチャンスを、逃すわけありません。

団員さんが渡してくれたヘルメットをかぶって、ハイ敬礼。

女性の団員さんもいらっしゃり、可愛らしい笑顔ながらもキビキビとされて、なんだかカッコ良かったです。

 

さぁ、いよいよ点火。

この火の粉を浴びると厄除となり縁起がいいらしいのですが・・・

遠くから見守ることに。

 

竹が弾ける音に驚きながらも、燃え上がる炎をお友達と眺める息子は、この日が4歳の誕生日。

伝統を継承していくことの大切さ。

 

残り火で、芋でも焼きたい・・・。

そのなコトを考えながらも、

無事に歳神さまを見送ることができました。

2023年、始動。

2023年が始まりました。皆さまの年末年始はいかがでしたでしょうか。

 

痛めた腰と、ものもらい(左目)も一緒に年を越し、緩やかに新年を迎えました。

 

さて、今年はどんな年にしますかと問われたならば『絶対評価』。他人と比べるのではなく、理想とする自分と比べ自身を評価すること。その絶対評価を志すには理想像を設定する必要があるわけで、ここが肝心。

 

世間的にあーだから、人がどーだから、そんなノイズを排除して、自分がありたい姿を想像する。簡単そうで、なかなか難しい作業。

 

自分がどこに立って、どんな景色を見たいのか・・・。そんなイメージを本年はしっかり具現化したいと思っております。

ご主人がデスクにて額装してず〜っと飾っている大切なコトバを拝借して、2023年もミカドヤ、跳ねまくっていこうと思います。

 

広告はある目的を達成するための手段なんです。
広告は人に見てもらわなくてはいけないので、
まず目立たなくてはいけない。
広告は短時間の接触なので誰にも簡単で
わかりやすくなければいけない。
広告は他社と明快に違う企業なりのオリジナルな顔、
カラーを持っていなくてはいけない。
広告はおもわずその商品が欲しくなるような
シズル感がなくてはいけない。
広告は当然のことながらモノを動かさなくてはいけない。
とまあ、ざっとそんな事をクリアーすれば
正しい広告はできると思っています。
簡単そうだけど、これがかなりむずかしい。
それを簡単にシンプルにやることが
アートディレクターの仕事だと思っています。

大貫卓也

 

飛躍と奇想。

今年最後の忘年会はやはり心の友、A生家でフィナーレです。
マンボ焼き片手に今年のあれこれを語り合うのです。

今年一年は設立以来一番目まぐるしく、たくさんのお仕事に関わらせていただきました。どれも思い出深いお仕事ばかりで、初めて経験する新しい世界へクライアントに導いていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

 

A生家での毎年恒例のシメは『今年の漢字』。
私は『飛躍』、妻は『奇想』、A生家夫婦は『屈辱』と『愚痴』。。(←おいおいどうしちまった!泣)

 

そんな『奇想』な妻はこの師走の忙しい中、道ばたに倒れ込んで動けないおばあさんを助けようと介抱した瞬間、己の腰がグギッ・・・・!

病院に行き、坐骨神経痛の診断を受けて帰ってまいりました。おかげで現在はルンバくらいの速度で家の中を歩いております(おお、奇想。泣)

 

・・とまぁ、相変わらずな私どもですが、当たり前の平和な日々がいかに大切かを噛みしめながら、来年も何気ない日常を綴っていきたいと思います。

これをもちまして、2022年度の『ミカドヤな日常』を閉じさせていただきます。
また来年、皆さまとお会いできることを楽しみにしております。

 

それでは皆さま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。
(※ミカドヤの業務開始は1月6日(金)からとなります。)

 

人間の層。

さぁそろそろ一年労いますかと、クライアントの株式会社ネオバンジーさまと毎年恒例の忘年会。
今年も大変お世話になりました。

まずお二人と決まって寄るのがプロ御用達の生鮮店。
「家永さん、何が食べたいですか?何でも言ってください。」
食べる専門の私からして、この一言はいつもたまらない瞬間でございます。贅沢すぎます。ビストロSMAPのゲストになった気分です。

 

「だいぶ腕も落ちましたよ笑」
イタリアンから日本料理まで幅広く経験されたT岡GMの速さと手さばきに妻はいつもポカーン。
(※もちろんN田社長にも沢山の料理を作っていただいたのですが、、酔っぱらって写真撮っておりませんでした泣)

修業時代、先輩方に賄いを作った際、一口だけ口にして全員外食に出られたお話。一生懸命こしらえた料理をゴミ箱に自ら捨てる作業だけは忘れられないという経験、胸が熱くなります。

 

私も修業時代、作ったデザインどれも「ゴミだ」と破られ捨てられ、たくさんの悔しい思いをして育ちました。早く一人前になれるよう、誰よりも早く出社し(といってもほぼ会社に宿泊しておりましたが)、先輩方のゴミ箱を漁って研究し勉強した時代を思い出しました。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」
現代ではパワハラだ何だと中々経験できる機会すら減ってきているような気がしますが、ほどほどの屈辱や苦い経験は、人間の層を厚くしてくれるような気がします。

 

話を戻してビストロMIKADOYAの今夜のオーダーは、刺身と肉料理。

中トロ、タイにアジ、イカ、椎茸、厚揚げ豆腐、牛さがりにホルモン。。

「これお店に行ったらいくらになるんですか?」と思わずのけぞるほど出てくる創作料理の数々。。

お二人と話していると前向きな言葉しか出てこず、その笑顔には沢山の自信がにじみ出て、どんな経験も次の目的に活かそうとされます。実は私はその状況に追い込まれないと動かないタイプなので、ネオバンジーさんには本当に色々なところに引っ張っていってもらっています。年齢は私が上ですが、尊敬するお兄ちゃんたちのような方々です。(ああ、そうさ、落ち着きなんてないさ!泣)

 

焼き鳥さんのオーナーとお客の関係で始まったこのご縁も気づけば7年目。
人生のご縁とは本当に摩訶不思議なものです。

これからも末永く宜しくお願いいたします。(次回のオーダーはもつ鍋です!笑)

 

【 今日の1本 】 
スーパーの女(1996年127分/日本)

この話の流れなら『タンポポ』と行きたいところですが、手元にないためこの作品でも。

 

天の邪鬼の憂鬱。

本日は息子の生活発表会。昔でいうお遊戯会というものでしょうか。

コロナ禍もあり、運動会同様昨年は参観できませんでしたので、私どもとしても初めて足を運ぶイベントです。

3、4歳クラスは歌の合唱と舞台劇。
一番前の真ん中に場所取りし、さぁ息子よ、失敗してもいいから思いっきりやってみなさい!

 

・・・一瞬、前回の運動会でのただ一人ボイコットした光景がよぎりましたが、まぁまぁ、あれだけ家でもノリノリで披露してくれてたんですもの、今回は大丈夫でしょう。

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ですが、今回も完全一人ボイコット。
客側に顔を見せてくれたのは入場時の数秒だけ。あとは全ての発表において背を向けて泣いておりました。

(こりゃイカン!私一番前でプレッシャー与えたのかも...)とスルスルと後ろに下がり、息子から見えない位置にて観賞。結局息子は一度も歌も顔も向けることなく、数曲の合唱は終了。

 

同クラスのお父さま方には「大丈夫ですよ、最初だから緊張しちゃったかな笑」と励ましのお言葉。「本当どうしたんでしょうね〜、朝変なもの食べましたかね〜笑」と笑いながら返していましたが、どうしても他の子供たちが元気に歌っている姿と比較してしまい、苦笑いになってしまいます。

 

次の『三匹の子豚』では衣装を全てはぎ取り、豚の帽子も床に叩きつけ、

そこから劇が終わるまで、背景に隠れて出てこなくなりました。
(衣装の下に着ていた『RAMONES』がパンク魂に火を付けさせたか泣)

 

 

ということで90分の発表会は終了。
結局最初から最後まで息子の勇姿はおろか、顔さえ見ることができませんでした。

なんでなんだろう。。
本当に分かってます、他の子と比較してはいけない。
しかもまだ3年しか生きていないじゃないか。

重々分かっています。友達の子供がもしそうだったら「大丈夫、大丈夫」と私は必ず言うはずです。ただ、それが自分の子になったらこうも違うものか。

いや、お前は人のことをとやかく言えるほど優等生だったか?
ガキ大将で、もちろん劇の主役だと思って意気揚々と登園したら、全児童しかも先生たちからも満場一致で天の邪鬼役に決められたようなヤツじゃないのか?主役じゃなくてふて腐れ、ボイコットしてたんじゃないのか?「啓ちゃんしかできない!」と皆に説得され結局楽しんで悪の化身になりきってなかったか?種類は違うけど目立ち方はお前の血を引いているじゃないか?それでいいじゃないか。
様々な感情が入り交じっておりました。

帰り際は自分が一番やったかのように、先生たちに次々とハイタッチして別れの挨拶する彼。(今頃スイッチ入るんかい!)
明るく門を出たあと、「ボク、泣いちゃった」と不甲斐なさそうに私たちを見上げる姿に、「よくできたよ!」と言いながら私も泣きそうになりました。息子も分かっているのです。

 

 

帰り道、お遊戯やダンスを披露する彼。大きな声で合唱する彼。

それは多分、あれだけ練習したのにできなかった自分への悔しさと、
「本当はこんなにできるんだよ」と私たちに見せてくれているのかもしれません。
愛おしくてたまらなくなりました。

五体満足で生まれてきてくれたことだけで感謝すべきなのに、いや、生まれてきてくれただけでいいのに、ひとつずつクリアする度に次々と欲が出てきて、もっと、もっと、と彼に期待しすぎていたのかもしれません。
結局私は他の子と比べているのではなく、(あんなに物怖じせずわんぱくだった)自分の幼少期と比べていたんだと思います。「俺の子なのに」と思い上がり、考え直すべきは私なのです。

しかし、人前が苦手な子なんてたくさんいるはずなのに、我ながら色々考えて自己嫌悪に陥る本当に情けない父親だなぁと思います。
ベテランのお母さまたちからしたら、「何言ってんの、これくらいのことで。これから先もっともっと色んなことがあるのよ!」と呆れられると思いますが、全てが初めてのこと、こればかりはしょうがありません。親としてひとつずつ私も経験・勉強していきながら一緒に成長できればと思います。長い目で見守っていきます。


全くもって先が思いやられますが、まだまだ私の父親道は始まったばかり。
これからも皆さま、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします。

 

 

【 今日の1本 】 
生きてこそ(1993年126分アメリカ)

 

ずずずいっと、16周年。

先日こんなことがありました。



とある企業さまで、ロゴマークのプレゼンテーションをさせて頂きました。社長含め執行役員の皆さまは常に分刻みで動かれているため、与えられている時間では100%の提案ができにくい状況。でもプレスリリース日は決まっているため、もうこの日で最終決定したい。。
広報部の皆さまのお力添えもありなんとか時間内にお伝えしようと努めたものの、やはり伝えきれません。(むむっ参ったな・・・別日でご説明する方向で話しようかなぁ。。)と天を見上げたとき「デザインに込められている想いをしっかりお聞きしましょうよ」とグループ長の声が。
そのような経緯で、改めてしっかりと時間をいただきプレゼンをおこなうことになりました。
 
再プレに伺うと、あの時のベテラン社員さんがいらっしゃったので「先日はありがとうございました」とお礼を述べますと「実は、亡くなった父親がデザイナーだったんです」と。
 
幼い頃から、お父さまの仕事を傍で見ていたそうで、ロゴマークやデザインが身近だったそう。沢山の想いを込めてデザインされていたお父さまの姿を覚えていると、笑いながらお話いただきました。

12月をもって、ミカドヤは16周年を迎えました。

今の私たちが、未来の何かに少しでもひっかかれば嬉しい。残れば、なお嬉しい。

 

いつもこのブログを通して見守ってくださっている、画面の前のあなた様のような方々に支えられながらやってこれたことを肝に銘じ、17年目もミカドヤらしく頑張ってまいります。

 


「このロゴ、親父とお袋がデザインしたんですよ」
成人した息子が誰かに伝えている姿を思い浮かべつつ。