ミカドヤな日常

アートディレクター/グラフィックデザイナーの夫とイラストレーターの妻の日常です。ミカドヤのHPはコチラ:design.mikadoya.jp

天の邪鬼の憂鬱。

本日は息子の生活発表会。昔でいうお遊戯会というものでしょうか。

コロナ禍もあり、運動会同様昨年は参観できませんでしたので、私どもとしても初めて足を運ぶイベントです。

3、4歳クラスは歌の合唱と舞台劇。
一番前の真ん中に場所取りし、さぁ息子よ、失敗してもいいから思いっきりやってみなさい!

 

・・・一瞬、前回の運動会でのただ一人ボイコットした光景がよぎりましたが、まぁまぁ、あれだけ家でもノリノリで披露してくれてたんですもの、今回は大丈夫でしょう。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/iengmwk/20221003/20221003060415.jpg

 

 

ですが、今回も完全一人ボイコット。
客側に顔を見せてくれたのは入場時の数秒だけ。あとは全ての発表において背を向けて泣いておりました。

(こりゃイカン!私一番前でプレッシャー与えたのかも...)とスルスルと後ろに下がり、息子から見えない位置にて観賞。結局息子は一度も歌も顔も向けることなく、数曲の合唱は終了。

 

同クラスのお父さま方には「大丈夫ですよ、最初だから緊張しちゃったかな笑」と励ましのお言葉。「本当どうしたんでしょうね〜、朝変なもの食べましたかね〜笑」と笑いながら返していましたが、どうしても他の子供たちが元気に歌っている姿と比較してしまい、苦笑いになってしまいます。

 

次の『三匹の子豚』では衣装を全てはぎ取り、豚の帽子も床に叩きつけ、

そこから劇が終わるまで、背景に隠れて出てこなくなりました。
(衣装の下に着ていた『RAMONES』がパンク魂に火を付けさせたか泣)

 

 

ということで90分の発表会は終了。
結局最初から最後まで息子の勇姿はおろか、顔さえ見ることができませんでした。

なんでなんだろう。。
本当に分かってます、他の子と比較してはいけない。
しかもまだ3年しか生きていないじゃないか。

重々分かっています。友達の子供がもしそうだったら「大丈夫、大丈夫」と私は必ず言うはずです。ただ、それが自分の子になったらこうも違うものか。

いや、お前は人のことをとやかく言えるほど優等生だったか?
ガキ大将で、もちろん劇の主役だと思って意気揚々と登園したら、全児童しかも先生たちからも満場一致で天の邪鬼役に決められたようなヤツじゃないのか?主役じゃなくてふて腐れ、ボイコットしてたんじゃないのか?「啓ちゃんしかできない!」と皆に説得され結局楽しんで悪の化身になりきってなかったか?種類は違うけど目立ち方はお前の血を引いているじゃないか?それでいいじゃないか。
様々な感情が入り交じっておりました。

帰り際は自分が一番やったかのように、先生たちに次々とハイタッチして別れの挨拶する彼。(今頃スイッチ入るんかい!)
明るく門を出たあと、「ボク、泣いちゃった」と不甲斐なさそうに私たちを見上げる姿に、「よくできたよ!」と言いながら私も泣きそうになりました。息子も分かっているのです。

 

 

帰り道、お遊戯やダンスを披露する彼。大きな声で合唱する彼。

それは多分、あれだけ練習したのにできなかった自分への悔しさと、
「本当はこんなにできるんだよ」と私たちに見せてくれているのかもしれません。
愛おしくてたまらなくなりました。

五体満足で生まれてきてくれたことだけで感謝すべきなのに、いや、生まれてきてくれただけでいいのに、ひとつずつクリアする度に次々と欲が出てきて、もっと、もっと、と彼に期待しすぎていたのかもしれません。
結局私は他の子と比べているのではなく、(あんなに物怖じせずわんぱくだった)自分の幼少期と比べていたんだと思います。「俺の子なのに」と思い上がり、考え直すべきは私なのです。

しかし、人前が苦手な子なんてたくさんいるはずなのに、我ながら色々考えて自己嫌悪に陥る本当に情けない父親だなぁと思います。
ベテランのお母さまたちからしたら、「何言ってんの、これくらいのことで。これから先もっともっと色んなことがあるのよ!」と呆れられると思いますが、全てが初めてのこと、こればかりはしょうがありません。親としてひとつずつ私も経験・勉強していきながら一緒に成長できればと思います。長い目で見守っていきます。


全くもって先が思いやられますが、まだまだ私の父親道は始まったばかり。
これからも皆さま、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします。

 

 

【 今日の1本 】 
生きてこそ(1993年126分アメリカ)