ミカドヤな日常

アートディレクター/グラフィックデザイナーの夫とイラストレーターの妻の日常です。ミカドヤのHPはコチラ:design.mikadoya.jp

氣のいい場所。

ウチの近所には小さな祠があります。
毎週月曜日になると「今週も一週間、どうか家族と周りのみんなを見守ってください」と手を合わせ、ホウキ片手にお地蔵さんの台座を掃除する。台風で傷んだところは補修する。かれこれ8年間続けてきました。

私は神様は信じていませんが、「氣」のようなものは人一倍信じております。
「氣のいい場所」
「氣のいい人間」
そういう場所には何度も足を運び、変な氣を出している人間には近づかない。その直感で平穏に生きてこれました。

この場所もそうで、なんだかキレイにしたらお地蔵さんたちの表情が明るくなったような気がして、その空間にいる自分にもいい氣が流れてくるような気がして、とても一週間気分が良くなるんです(「気」多いな)

妻が妊娠した時は「どうか、どうか、」と週1回の掃除を2回にし、入院した時は毎日通いました。
で、無事に産まれたら産まれたで今度はまた息子への新たな願いを込めて掃除をする。。心配事は尽きませんが、私にとって大切な場所でございました。

『長尾昔ばなし』によりますと、この祠の祭神は千手観音菩薩でありまして、「助けを願う人を助けて下さるお大師さま」として地域の人たちは信心していたとのこと。大正時代の終わりに信者の一人が姪浜の石工さんに彫らせたもので、隣には釈迦如来に始まる十三体の石仏(一番右の十四体目に不動明王さま)が鎮座されています。

早良地区での筑前西国第三十三番札所だったらしく、観音様の隣の十三仏さま達は昭和元年に運んでこられた時、喜んだ村人は総出で担ぎ上げ安置したとのこと。その時代この像は村の皆さんの希望であったことに違いありません。『千灯明』と呼ばれるお祭りの際は7mもある大きな数珠の輪を参拝者全員で持ち、「南無大師遍照金剛」と唱えながら願いを込め100回まわる習慣もあったようです。

 

ですが、以前は誰でも参ることができたこの祠も、ある時から入口にあからさまにバリケードが張られるようになりました。それでも掃除をしていると、今度は管理の人が石を投げてくるようになり、なんだか昔の雰囲気が様変わりしてまいりました。

ああ、土地を管理する人が変わったんだな。次の人は入るのを嫌がるんだな。
人様の土地ということもあり、強くはいえず、この祠にも半年以上足が遠のいておりました。

 

中に入れずとも月曜日になるとこの位置から大師たちに挨拶をしていたのですが、数ヶ月前、立て札を見てガクゼン。。

マンションが建つことになりました。
施工予定の12月になっても動きがないので地域の民生委員に状況を聞いてみたところ、どうも管理側と市やら何やらで石仏たちの引き取り手をどうするかでモメている模様。。

いやいや、ここの計画を立てる前に先にそういうのは決めておいてよ。一番先に決めておいてよ。
この地域を100年以上守ってきた大師たちなんですよ。

誰も引き取り手が見つからなかったらウチの敷地内に何体か供えようかと妻に相談しましたが、「そういうのは生半可な気持ちじゃダメなのよ!息子にもその下にも引き継ぐことになるのよ、それ相応の勉強と覚悟がいるのよ!」ということで却下。「んじゃ周りの石仏の欠片でも家に供えるのは?」と提案してみるも、思いっきりニラまれそれも却下。(そりゃそうですよね。。)

今私にできることは、撤去されるまで、飛んでくる石が岩に変わるまで目を盗んで掃除に行くことくらい。とにかく石仏たちの今後が心配です。

 

施工開始はすぐそこまで来ていると思いますが、関係者の方々、とにかく丁重に扱ってくださいね。
私、神様は信じていないと言いましたが、『念』というものは大いに信じていますので。